Thursday, December 29, 2011

af_blog: 「現代落語論」---立川談志

時代というものは変わる。変わらないと人間保たない。それは「好奇心」という、人間だけが強烈に持った本能・・・とは違う、妙なモノ・・・、これが満足出来ないからで、好奇心の満足のためにゃ、どんな「いいモノ」とされるものでも捨てられてしまうのだ。

もう一ついうと、人間は知性で文明、文化を造ったのではない。ひとえに好奇心のためであろう。だから文明を止めるわけにはいかないのだ。知性なら、ことによると、知性でストップがかけられるかも知れないと、天才手塚治虫は「火の鳥」で、”次の人類に期待しよう”と結んだが、次の人類もだめだろう。人間、知性ではなく好奇心なのだから・・・。

でもなァ・・・、好奇心を知性で止めて・・・、ダメかァ、好奇心をストップさせるのは「恐怖心」だけだろうし、その恐怖心とは、動物と違って全てデータという過去の経験、学習の上に成り立つものだろうし。たとえていえば、トリカブトを食べたら”死んじゃった”というデータがあるから、それは食べないのでアリマス。けど、そのトリカブトもことによると、炒めりゃ喰えるかも知れないという好奇心を持った奴が出てくるかも知れないし・・・というこっちゃ。

(中略)

その好奇心というヤツは現状に飽きるから、常に新しく、次の段階に行こう行こうと急かせるし、マスコミという困った代物が電波を、新聞を、雑誌を、売らんがために。これに拍車をかけるから、とてもとても「衆寡敵せず」で敵わない、たまらない。で、それに対抗する人間の業を語って・・・好奇心をこっちに向けてやる・・・あーあ。

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